アニオタ的地域格差を思う
4月末に本屋を巡ったら、「マキゾエホリック」の2巻に「涼宮ハルヒの憤慨」も、普通に売っていた。1日には「仮面のメイドガイ」の3巻が普通に買えた。普通ならあり得ないことだ。いや、別に本州の街なら当たり前のことだろうが、私の住んでる福岡では、本の発売は2〜3日遅れるのが普通なのだ。いや、常識と呼んでいい。福岡で新刊が発売日に買える、それどころか数日前に買えるなんてまずありえないことだ。
ただ、いまのような時期だけは、そんな奇跡を毎年味わうことができる。
もちろん、なぜそんなことが起きるかと言えば、周知の通り黄金週間に対応するために、出版・流通とも通常と違う体制を組んでいるからなのだが、やはりどうにも釈然としない気分が残る。
やろうと思えばできるのに、弊害ははるか過去からこうしてほったらかしなことに、だ。
もちろん理由もなんとなく判っていて、要は特別な体制が特別であるかぎり、余計に金がかかるということだろう。だから改善されない。市場原理は距離に応じて冷酷に作用しているわけだ。まったく泣けてくる。
ただし、新しい流通ルートに乗っている一部の本なんかは、福岡でも発売日に普通に買えたりする。例えば、コンピュータ専門店などで扱っているPC書籍だ。これは出版社系の流通とは別口だからだろう。こうなってくると、旧態依然とした流通システム自体に問題がある気がしてくるが、地方で、「発売日に必ず買える」を売り文句にした本屋なんか出てくる余地はないもんだろうか。
さて、前振りが長くなったが、私にとって一番頭の痛い地域較差は、アニメの放送枠なのは以前にも書いたとおり。ここ10数年、多チャンネル化が進んで軽減されるかとも思ったが、チャンネル増より番組増のほうがはるかに多い現状では、結局「地方では見られない」アニメというのは屹然と存在していて、改善の目処は見あたらない。そもそもCS放送などでフォローするにしても、本放送から数週間から数ヶ月遅れるのはざらで、較差の数量自体は昔より多くなっているくらいだろう。実は私、デジタル放送の普及で放送較差も軽減されるのかなと夢見ていた過去もあったのだが、デジタル放送に「従来の枠組みを変える意図はない」と知ってガッカリした。地方に住むアニオタにとって放送格差の克服は悲願だが、もはや合法的な手段での克服は限界にきつつあるのかもしれない。もちろん違法な手段に手を出すつもりは更々ないが、正当な対価を払う正直者が馬鹿を見る悪循環が育まれていることを、メディア側が自覚して欲しいと願うのだった。
ただ、いまのような時期だけは、そんな奇跡を毎年味わうことができる。
もちろん、なぜそんなことが起きるかと言えば、周知の通り黄金週間に対応するために、出版・流通とも通常と違う体制を組んでいるからなのだが、やはりどうにも釈然としない気分が残る。
やろうと思えばできるのに、弊害ははるか過去からこうしてほったらかしなことに、だ。
もちろん理由もなんとなく判っていて、要は特別な体制が特別であるかぎり、余計に金がかかるということだろう。だから改善されない。市場原理は距離に応じて冷酷に作用しているわけだ。まったく泣けてくる。
ただし、新しい流通ルートに乗っている一部の本なんかは、福岡でも発売日に普通に買えたりする。例えば、コンピュータ専門店などで扱っているPC書籍だ。これは出版社系の流通とは別口だからだろう。こうなってくると、旧態依然とした流通システム自体に問題がある気がしてくるが、地方で、「発売日に必ず買える」を売り文句にした本屋なんか出てくる余地はないもんだろうか。
さて、前振りが長くなったが、私にとって一番頭の痛い地域較差は、アニメの放送枠なのは以前にも書いたとおり。ここ10数年、多チャンネル化が進んで軽減されるかとも思ったが、チャンネル増より番組増のほうがはるかに多い現状では、結局「地方では見られない」アニメというのは屹然と存在していて、改善の目処は見あたらない。そもそもCS放送などでフォローするにしても、本放送から数週間から数ヶ月遅れるのはざらで、較差の数量自体は昔より多くなっているくらいだろう。実は私、デジタル放送の普及で放送較差も軽減されるのかなと夢見ていた過去もあったのだが、デジタル放送に「従来の枠組みを変える意図はない」と知ってガッカリした。地方に住むアニオタにとって放送格差の克服は悲願だが、もはや合法的な手段での克服は限界にきつつあるのかもしれない。もちろん違法な手段に手を出すつもりは更々ないが、正当な対価を払う正直者が馬鹿を見る悪循環が育まれていることを、メディア側が自覚して欲しいと願うのだった。

